元「慰安婦」への償い事業を担ったアジア女性基金(女性のためのアジア平和国民基金)の呼びかけ人および理事を務めた著者(元東大教授・故人)が、当初から論争の絶えなかった同基金の活動を振り返りつつ、その意義と問題点についてメディアやNGOへの提言も含めながら率直に語った書。
アジア女性基金が立ち上げられた頃、著者が回想するとおりメディアの論調は否定的で、国家補償を回避するためのまやかしだというものが多かったように記憶している。しかし、首相の署名した手紙を個々の被害者に届けるというのは今にして思えばかなり画期的なやり方だった。民間の募金と政府拠出の医療福祉支援費という手法も、国家補償を至善とする立場からすれば不十分というか正しくないのかもしれないが、個人の自覚的な行動を促すという意味では価値あるものだったと言える。こうした意義が国内外ともにほとんど、あるいはまったく理解されなかったことは著者にとってはもどかしい限りだっただろう。また、村山内閣を逃せば被害者が存命のうちにこの問題を解決する機会はない、という著者の危機感が正しかったことも、その後の状況を見れば明らかだ(著者は「慰安婦」問題を優先するために、その他の未解決問題をいわば切り捨てざるを得なかったことを、忸怩たる思いで回想している)。
とはいえ本書のスタンスは、世に受け入れられなかった活動の恨み言を述べることではもちろんなく、将来のためにアジア女性基金の意義を問い直し、また「慰安婦」問題をここまでこじれさせた主体でもあるメディアやNGOのあり方について苦言を呈することにある。本書の中で著者がしつこいほどメディアやNGOへの批判をくり返すのは、その存在意義を十分認め、将来に期待するがゆえのことであるのは明らかだ。そのようなメディアから情報を受け取り、あるいはNGOの活動に関わる可能性もある私達一人ひとりにとっても無関係ではないだろう。
著者の論点は多岐にわたるが、中でも法的責任と道義的責任に関する見解は今まであまり意識したことはなく、たいへん勉強になった。戦後補償の優等生として言及されることの多いドイツが果たしてきたのは法的責任ではなく道義的責任だという指摘は、言われて見ればその通りだ。そして、合法であれば何をしてもよいわけではなく、一方で法律そのものがけしからんと言うだけでは何にもならないのだろう。
もうひとつ重要な点は、このようなケースにおける被害者との向き合い方だ。被害者達は決して聖人ではなく(中にはそのような人もいるかもしれないが)私達と同じような人達だ―少なくともその可能性が高い。そして私達と同じようだということは、私達とは違う感性を持っているかもしれないということでもある。言うまでもなく、一人ひとりの来歴や境遇も異なる。同じ苦しみを味わったとしても多様であり得るという当たり前のことを忘れるべきではない。
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「慰安婦」問題とは何だったのか: メディア・NGO・政府の功罪 (中公新書 1900) 新書 – 2007/6/25
大沼 保昭
(著)
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- ISBN-104121019008
- ISBN-13978-4121019004
- 出版社中央公論新社
- 発売日2007/6/25
- 言語日本語
- 本の長さ248ページ
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2007/6/25)
- 発売日 : 2007/6/25
- 言語 : 日本語
- 新書 : 248ページ
- ISBN-10 : 4121019008
- ISBN-13 : 978-4121019004
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2023年4月13日に日本でレビュー済み
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あくまで日本という国に、公式に謝罪・賠償をさせようというなら、現在まで出ている証拠・証言を精査し、そこで立証されたとみなせる「事実」が、国際法・国内法のどれにどう違反していたのかを明らかにしなければなりません。
大沼氏は、国際法の権威でありながら、本書ではそのことにはほとんど触れず、日本に「戦争犯罪」があったのも、慰安婦という存在はその一部であることも、当然の前提として話を進めていきます。
それでは、それは一応棚に上げるとして、著者の言うところをたどると。
平成6年の、自社さきがけによる村山政権こそ、慰安婦への「謝罪」を成立させる千載一遇のチャンスだった。しかし,官僚は、昭和40年の日韓基本条約その他によって、戦時中の行為に関する賠償問題などはすべて解決済みという姿勢を崩さない。そこでできる最大限のことを目指して作られたのが、「アジア女性基金(正式名称:財団法人女性のためのアジア平和国民基金)」だった。
ここでは
① 総理大臣の、元慰安婦たちへのお詫びの手紙を用意する。
② 元慰安婦たちへの償い金は、国民からの寄付をあてる。
③ 元慰安婦たちにかかる医療福祉事業には、国庫をあてる。
この三つの実現を図った。
ところがこれが簡単ではなかった。
韓国に限って言うと、現在まで元慰安婦問題関連最大のNGO「挺対協(正式名称:韓国挺身隊問題対策協議会,現在は、日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)」と日韓のいくつかの個人・団体は、これは日本政府による正式な謝罪・補償ではない以上、むしろ日本の罪をごまかすための策略だ、として、償い金を受け取った元慰安婦は、「民族に対する裏切りだ」と批判した。
大沼氏は本書でこれに必死で抗弁していて、それが内容の半分以上を占めている。
「正式な謝罪」なんて言ってたら、実現するとしても何年かかるかわからない。そのうちには、既に高齢の、元慰安婦の方々は亡くなってしまい、なんらの補償も受けないことになってしまう。
もうこのへんで明らかなのだが、反対派の目的は、元慰安婦の救済にはない。彼女たちは、政治目的のための道具に過ぎない。その目的とは、「日本とは、戦時中の非道をちゃんと反省して償おうとしない悪しき国だ」という印象を与えること。それが世界中で、けっこう成功しているらしいところが、現在最大の問題だろう。
大沼氏が善意の人であることは疑いません。しかし、その善意が、ねじ曲げられ、利用されることについては、あまりにもナイーブです。
しかしおかげで、韓国から国際社会へと広がるある意図は、透けて見えるようになりましたので、それは怪我の功名のような一徳ではあると思います。
大沼氏は、国際法の権威でありながら、本書ではそのことにはほとんど触れず、日本に「戦争犯罪」があったのも、慰安婦という存在はその一部であることも、当然の前提として話を進めていきます。
それでは、それは一応棚に上げるとして、著者の言うところをたどると。
平成6年の、自社さきがけによる村山政権こそ、慰安婦への「謝罪」を成立させる千載一遇のチャンスだった。しかし,官僚は、昭和40年の日韓基本条約その他によって、戦時中の行為に関する賠償問題などはすべて解決済みという姿勢を崩さない。そこでできる最大限のことを目指して作られたのが、「アジア女性基金(正式名称:財団法人女性のためのアジア平和国民基金)」だった。
ここでは
① 総理大臣の、元慰安婦たちへのお詫びの手紙を用意する。
② 元慰安婦たちへの償い金は、国民からの寄付をあてる。
③ 元慰安婦たちにかかる医療福祉事業には、国庫をあてる。
この三つの実現を図った。
ところがこれが簡単ではなかった。
韓国に限って言うと、現在まで元慰安婦問題関連最大のNGO「挺対協(正式名称:韓国挺身隊問題対策協議会,現在は、日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)」と日韓のいくつかの個人・団体は、これは日本政府による正式な謝罪・補償ではない以上、むしろ日本の罪をごまかすための策略だ、として、償い金を受け取った元慰安婦は、「民族に対する裏切りだ」と批判した。
大沼氏は本書でこれに必死で抗弁していて、それが内容の半分以上を占めている。
「正式な謝罪」なんて言ってたら、実現するとしても何年かかるかわからない。そのうちには、既に高齢の、元慰安婦の方々は亡くなってしまい、なんらの補償も受けないことになってしまう。
もうこのへんで明らかなのだが、反対派の目的は、元慰安婦の救済にはない。彼女たちは、政治目的のための道具に過ぎない。その目的とは、「日本とは、戦時中の非道をちゃんと反省して償おうとしない悪しき国だ」という印象を与えること。それが世界中で、けっこう成功しているらしいところが、現在最大の問題だろう。
大沼氏が善意の人であることは疑いません。しかし、その善意が、ねじ曲げられ、利用されることについては、あまりにもナイーブです。
しかしおかげで、韓国から国際社会へと広がるある意図は、透けて見えるようになりましたので、それは怪我の功名のような一徳ではあると思います。
2018年5月27日に日本でレビュー済み
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簡単に書きます。この本を読めば、慰安婦問題を泥沼化させた元凶が、日韓のマスコミ、知識人,そして挺対協だということがよくわかります。
2013年8月19日に日本でレビュー済み
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江川紹子氏が行った大沼保昭氏へのインタビュー記事をネット上で偶然拝見し、早速取り寄せて読んだ。この問題について初めて納得いく見解に出会った感がある。私はアジア女性基金の事をよく知らなかった。日本の右派左派が立場を乗り越え考えを共有し、政府も多額の金を出し、賛同する国民有志が五億円寄付してスタートした元慰安婦への償い金事業があった事を知らなかった。
慰安婦問題がこれだけ騒がれながら、昨今のテレビ報道などでこの事が話題になったことがない。何故なのだろうか。この十数年間で基金による償い金支払い事業は大変な苦労、紆余曲折をへて数百人の名乗りでた元慰安婦に渡された。オランダ、インドネシア、台湾、フィリピン、韓国。ただ韓国だけは7人のみだけで進展せず失敗に終わった。この受け取った7人の韓国人慰安婦は、韓国内で非国民扱いにされ支援団体から激しい非難を受けたという。(最終的には支援者団体のバッシングを恐れて密かに公表しない形で61名が受け取った)この辺の実態については本文をぜひ参照していただきたい。民間個人の拠出金と政府の拠出金、さらに歴代内閣総理大臣の丁寧な謝罪文を添えて行われた事業、これだけの事業、世界に恥じない事業をしながら国内でも海外でも注目されなかった。なんという残念なことだろうか。これには深い理由があった。この事業を民間事業と捉え、国家の責任回避事業であるとして批判し続けた、朝日新聞を初めとするリベラル派マスコミの姿勢、そして日韓の支援者組識の姿勢。本来被害者救済が目的であるはずが、被害者の本音のさまざまな声を無視しして、国家責任の追及という正義の理想や理念実現を過度なまでに優先する支援者の実態。(ちなみに成功したフィリピンやオランダの場合は被害者個人の素朴な希望が最優先された形で償い金事業が進められたという。)
また基金を発足させ金を出していながら斜に構えたまま、真っ正面から取り組まなかった日本政府の消極的スタンス。本文を読むと目が覚める思いでこの一連の流れが見えてくる。政府の姿勢は、河野談話、村山談話を踏襲すると言いながらどこか白々しい嘘臭さがぬぐいきれない、今日現在の政府答弁そのものである。
開国明治維新以降の日本は、欧米列強の帝国主義、植民地国家の流れに飲み込まれまい、また同時にその流れに乗り遅れまいとして富国強兵に専心し、朝鮮支配を中国清と競い、ロシアと競い、それに打ち勝ち、併合した。この朝鮮併合にあたっては、アメリカと日本は桂タフト密約協定を結び了承し会い(アメリカはフィリピンを支配)、イギリス、フランスもインド、インドシナ自国植民地保全を前提に了承した。韓国は欧米列強の助けを求め密使を派遣し日本の横暴を訴えたが完全に無視された。さらに日露戦後は米英了解のもとに満州一帯のロシア利権を奪い取り、第一次大戦後は、南太平洋ドイツ植民地諸島を獲得、さらなる強引な大陸侵攻で満州国を作りあげた。しかし満州国は、日本による既得権侵害や中国市場独占を恐れた欧米列強からは承認を得られず日本は孤立した。さらには経済制裁に追い込まれると資源獲得のため東南アジアに侵攻し、八紘一宇のもと欧米植民地解放を名目にかかげ、中国のみならず米英他との戦争に突き進んだ。結果絶対的物量背景を無視した戦争は、自国民他国民共に膨大な死者を伴った敗退に終わり、国家の破滅を招いた。
大日本帝国によって強行され、戦争遂行責任者意識が希薄な担ぎ手によって振り回された、戦争御輿のなれの果てである。
そして破滅を迎えながらも最後まで守ろうとしたのは国体、天皇制であった。国民の命ではなかった。そういう国家であった。
この日本の軍隊の行動範囲に数多存在したのが慰安場であり、そこに存在したのが慰安婦だ。生活苦でやむを得ずなったもの、騙されて来たもの、強制されたもの、様々な理由があったと思える。いずれにせよアジアの広範囲で同様の訴えが数多あることは、不本意にして自分の人生を犠牲にさせられた人々がいたというまぎれもない事実を示している。そして当然のことながらその受益者の日本軍、及びそれと結び付いた業者が直接的間接的に関与していた。
この本はぜひ多くの人に読んでもらいたい。日本韓国のナショナリズムに煽られた慰安婦論争を聞くのは疲れた。日本はまぎれもなく中国朝鮮東南アジアを侵略したのであり、その加害者である。領土問題にしてもその明確な認識なくしては、尖閣諸島の領有、竹島領有を主張しても足元をすくわれるばかりだろう。認めるものは認め、謝罪すべきことは真に深く謝罪した上で、主張すべきことは強く主張すべきだ。欧米植民地国家追従の流れ、国家神道を作りあげ、天皇制国体中心、個人の尊厳軽視の明治維新以来の国家運営が日本を滅ぼしたのであり、周辺諸国を苦しめた。同時に戦後の日本は世界に誇れる平和国家として成功し、中国、韓国、東南アジア諸国への多額の援助をして今日のアジアの台頭、隆盛の基盤作りに貢献してきた。日本人の誇りとはこれらの認識を深く共有することから生まれてくる。昨今の薄気味悪い国家主義を彷彿させるような復古主義的、開き直り的、自己中心的姿勢からでは絶対にない。
基金の当事者として多くの批判を受けながら活動にあたった著者の文章の一部を抜粋しておく。.....(韓国人から、結局あなた方は責任を認めようとしない日本政府に利用されたのではないかと詰め寄られた時の回答)
、、、、、「日本政府の一部に基金を利用しようという考えがあったことは事実だろうが........仮にわたしたちが利用されたとしても、その結果元慰安婦になにほどかのことができたのであれば、それでよいのではないか。」........
このようなスタンスこそが原点であると思う。
保守の主張する国家も‘左派’の主張する正義もしょせん抽象的なものである。原点は生身の矛盾に満ちた生活者にある。ひとりひとりの人生が第一であり、いかなる崇高な正義の理念であっても、具体的な生活者の現実をまたいで進むことは出来ない。正義の理念や理想の実現追求が、ややもすると原点である生身の人間の切なる思いに寄り添う事を忘れて、勝手に一人歩きしてしまう怖さを著者は指摘している。正論をかざしてほとんど実現の見込みのないままに時ばかりが過ぎていくあり方を批判し、当事者である慰安婦が高齢である事を踏まえて、あえて現実的解決に向け妥協し決断し行動した基金呼びかけ人グループメンバーの知性に敬服する。
なお著者は慰安婦を単なる戦場の売春婦と言い捨てる考えは、学問的議論の対象となりえないとして取り上げていない。
慰安婦問題がこれだけ騒がれながら、昨今のテレビ報道などでこの事が話題になったことがない。何故なのだろうか。この十数年間で基金による償い金支払い事業は大変な苦労、紆余曲折をへて数百人の名乗りでた元慰安婦に渡された。オランダ、インドネシア、台湾、フィリピン、韓国。ただ韓国だけは7人のみだけで進展せず失敗に終わった。この受け取った7人の韓国人慰安婦は、韓国内で非国民扱いにされ支援団体から激しい非難を受けたという。(最終的には支援者団体のバッシングを恐れて密かに公表しない形で61名が受け取った)この辺の実態については本文をぜひ参照していただきたい。民間個人の拠出金と政府の拠出金、さらに歴代内閣総理大臣の丁寧な謝罪文を添えて行われた事業、これだけの事業、世界に恥じない事業をしながら国内でも海外でも注目されなかった。なんという残念なことだろうか。これには深い理由があった。この事業を民間事業と捉え、国家の責任回避事業であるとして批判し続けた、朝日新聞を初めとするリベラル派マスコミの姿勢、そして日韓の支援者組識の姿勢。本来被害者救済が目的であるはずが、被害者の本音のさまざまな声を無視しして、国家責任の追及という正義の理想や理念実現を過度なまでに優先する支援者の実態。(ちなみに成功したフィリピンやオランダの場合は被害者個人の素朴な希望が最優先された形で償い金事業が進められたという。)
また基金を発足させ金を出していながら斜に構えたまま、真っ正面から取り組まなかった日本政府の消極的スタンス。本文を読むと目が覚める思いでこの一連の流れが見えてくる。政府の姿勢は、河野談話、村山談話を踏襲すると言いながらどこか白々しい嘘臭さがぬぐいきれない、今日現在の政府答弁そのものである。
開国明治維新以降の日本は、欧米列強の帝国主義、植民地国家の流れに飲み込まれまい、また同時にその流れに乗り遅れまいとして富国強兵に専心し、朝鮮支配を中国清と競い、ロシアと競い、それに打ち勝ち、併合した。この朝鮮併合にあたっては、アメリカと日本は桂タフト密約協定を結び了承し会い(アメリカはフィリピンを支配)、イギリス、フランスもインド、インドシナ自国植民地保全を前提に了承した。韓国は欧米列強の助けを求め密使を派遣し日本の横暴を訴えたが完全に無視された。さらに日露戦後は米英了解のもとに満州一帯のロシア利権を奪い取り、第一次大戦後は、南太平洋ドイツ植民地諸島を獲得、さらなる強引な大陸侵攻で満州国を作りあげた。しかし満州国は、日本による既得権侵害や中国市場独占を恐れた欧米列強からは承認を得られず日本は孤立した。さらには経済制裁に追い込まれると資源獲得のため東南アジアに侵攻し、八紘一宇のもと欧米植民地解放を名目にかかげ、中国のみならず米英他との戦争に突き進んだ。結果絶対的物量背景を無視した戦争は、自国民他国民共に膨大な死者を伴った敗退に終わり、国家の破滅を招いた。
大日本帝国によって強行され、戦争遂行責任者意識が希薄な担ぎ手によって振り回された、戦争御輿のなれの果てである。
そして破滅を迎えながらも最後まで守ろうとしたのは国体、天皇制であった。国民の命ではなかった。そういう国家であった。
この日本の軍隊の行動範囲に数多存在したのが慰安場であり、そこに存在したのが慰安婦だ。生活苦でやむを得ずなったもの、騙されて来たもの、強制されたもの、様々な理由があったと思える。いずれにせよアジアの広範囲で同様の訴えが数多あることは、不本意にして自分の人生を犠牲にさせられた人々がいたというまぎれもない事実を示している。そして当然のことながらその受益者の日本軍、及びそれと結び付いた業者が直接的間接的に関与していた。
この本はぜひ多くの人に読んでもらいたい。日本韓国のナショナリズムに煽られた慰安婦論争を聞くのは疲れた。日本はまぎれもなく中国朝鮮東南アジアを侵略したのであり、その加害者である。領土問題にしてもその明確な認識なくしては、尖閣諸島の領有、竹島領有を主張しても足元をすくわれるばかりだろう。認めるものは認め、謝罪すべきことは真に深く謝罪した上で、主張すべきことは強く主張すべきだ。欧米植民地国家追従の流れ、国家神道を作りあげ、天皇制国体中心、個人の尊厳軽視の明治維新以来の国家運営が日本を滅ぼしたのであり、周辺諸国を苦しめた。同時に戦後の日本は世界に誇れる平和国家として成功し、中国、韓国、東南アジア諸国への多額の援助をして今日のアジアの台頭、隆盛の基盤作りに貢献してきた。日本人の誇りとはこれらの認識を深く共有することから生まれてくる。昨今の薄気味悪い国家主義を彷彿させるような復古主義的、開き直り的、自己中心的姿勢からでは絶対にない。
基金の当事者として多くの批判を受けながら活動にあたった著者の文章の一部を抜粋しておく。.....(韓国人から、結局あなた方は責任を認めようとしない日本政府に利用されたのではないかと詰め寄られた時の回答)
、、、、、「日本政府の一部に基金を利用しようという考えがあったことは事実だろうが........仮にわたしたちが利用されたとしても、その結果元慰安婦になにほどかのことができたのであれば、それでよいのではないか。」........
このようなスタンスこそが原点であると思う。
保守の主張する国家も‘左派’の主張する正義もしょせん抽象的なものである。原点は生身の矛盾に満ちた生活者にある。ひとりひとりの人生が第一であり、いかなる崇高な正義の理念であっても、具体的な生活者の現実をまたいで進むことは出来ない。正義の理念や理想の実現追求が、ややもすると原点である生身の人間の切なる思いに寄り添う事を忘れて、勝手に一人歩きしてしまう怖さを著者は指摘している。正論をかざしてほとんど実現の見込みのないままに時ばかりが過ぎていくあり方を批判し、当事者である慰安婦が高齢である事を踏まえて、あえて現実的解決に向け妥協し決断し行動した基金呼びかけ人グループメンバーの知性に敬服する。
なお著者は慰安婦を単なる戦場の売春婦と言い捨てる考えは、学問的議論の対象となりえないとして取り上げていない。
2014年9月20日に日本でレビュー済み
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朝日新聞問題でまた最近話題に上がっている「いわゆる『慰安婦』」問題。私個人として不勉強で自分の中で明確な立ち位置を確立できなかったため、勉強のために購入し、読んでみました。
私に内容としてあまり詳細に立ち入る力量がありませんが、著者の「慰安婦」問題への取り組みの誠実さがよく分かる良質な本だと思いました。左右に関係無なくありがちな上から目線で他人を断罪する態度がなく、いかに日本として日本国民として元「慰安婦」の利益に繋がる行動が取れるか真摯に考え、行動し、そこから得た反省を述べたものと感じました。
ただ内容として少々不満な点は日本(日本軍?)として「慰安婦」の制度が当時の日本の国内法にも違反していたと言う記述について、その根拠が示されていなかったのが残念です。
この本に続いて私の信頼する歴史家、秦 郁彦さんの「慰安婦と戦場の性」も購入して読み始めました。
引き続き勉強したいと思います。
私に内容としてあまり詳細に立ち入る力量がありませんが、著者の「慰安婦」問題への取り組みの誠実さがよく分かる良質な本だと思いました。左右に関係無なくありがちな上から目線で他人を断罪する態度がなく、いかに日本として日本国民として元「慰安婦」の利益に繋がる行動が取れるか真摯に考え、行動し、そこから得た反省を述べたものと感じました。
ただ内容として少々不満な点は日本(日本軍?)として「慰安婦」の制度が当時の日本の国内法にも違反していたと言う記述について、その根拠が示されていなかったのが残念です。
この本に続いて私の信頼する歴史家、秦 郁彦さんの「慰安婦と戦場の性」も購入して読み始めました。
引き続き勉強したいと思います。
2014年3月7日に日本でレビュー済み
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だらだらと同じ事の繰り返しが多い。まさに「慰安婦」問題は何なのかという感じ。。まだ読み切れてないです。
2014年12月12日に日本でレビュー済み
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日本人として知るべきことがわかった、と納得している本です。マスコミはどうして現在の安倍政権を賞賛するのか?意味がわかりません。朝鮮半島の人たち、中国、フィリピン、台湾、オランダなどなどの慰安婦は、日本軍が関与していたことは明白である。きちんと事実を認めることが自虐であるとは思えない。過去の出来事は、過去のこととして、きちんと清算して、未来を見据えて生きていきたいものです。と改めて思いました。